たくさん働いて、残業もこなして、上司に気に入られ、飲み会にも積極的に参加し、長期間働き続けることでやがて管理職へと昇進し、ゆくゆくは定年退職。そんな”昭和的な”働き方は、今や淘汰されつつあります。上司が帰らないまで自分も帰れない、そんな残業を主軸とした文化は廃れ、同じ企業で定年まで働き続けることはキャリア構築という考え方に取って代わられ、今や転職しスキルを磨くことも普通のこととなってきました。転職は順風満帆な人生を棒に振る行為ではなく、次なる成長のための重要な一歩となった昨今、それらが影響しているかはともかく、昇進に対する心構えが、特に若い世代(こういう書き方はあまりしたくないのですが)の中で大きく変化しているのは、紛れもない事実です。昇進し給料を上げることよりも、自分の時間、家族との時間を重視し、昇進を望まない。その考えは、どういったもので、マネジメントをする側としては、どう付き合っていけば良いのでしょうか?
そもそも、これは何が問題なのでしょう。簡単にいえば、最適な候補者に拒否される、というのが一番の課題です。上司は何も適当に昇進を決めているわけではありません(ないと信じたい)。この人ならばより大きな仕事を任せられる、と信じて声をかけるのです。加えて、社内の評価基準だったり、今後のキャリアパスだったりを考慮した結果、昇進を任せるのです。なので、それを断るというのは、それを決めた人からしたら、苦労して考えたオファーをひっくり返されるという、少し痛手なことなのです。
ではなぜ、昇進という”ご褒美”を拒否されるのか。人によってその理由は様々ですが、一概に言えば「昇進を必要としないライフスタイルを確立している」「仕事のために生きているのではなく、生きるために仕事をしている」という二つのことが原因として挙げられるでしょう。
昇進を必要としないライフスタイルを確立している、というと難しく聞こえますが、実態は簡単です。文字通り、誰かを管理する立場に立つことに魅力を見出していないのです。
かつては管理職、課長や部長クラスになることは、それだけで相当なステータスでした。年功序列的な会社が多かった頃から見れば、若手部長などまさに社会におけるスター的な存在だったことでしょう。しかし現在は、そういった肩書きを身につけることがステータスにはならなくなってきたのです。
昇進を望まない世代の価値は、昔ながらの泥臭さからスタイリッシュさに移行しています。長時間働くより決められた時間内にさっと仕事を終わらせるスタイリッシュさ。会社の仲間と酒を飲み語り笑うより、気の知れた少数と仲間内で楽しむミニマムさ。一日中共に仕事をした上司と過ごすより、大事な恋人や家族と過ごしたいと願う人も多いことでしょう。
加えて人を褒めるより、褒められる方が遥かに簡単です。上司になれば部下の面倒を見て、しっかり仕事をさせ、昨今でいえばハラスメントにならないよう指導も行い、それをさらに上へと報告しなければならない。だったら上から指示を受けて仕事をした方が遥かに簡単で、間違いがありません。これは上司になるための研修、というものが会社で受けられないことも理由の一つかもしれませんね。
このように、「昇進」に強い付加価値が存在しなくなっているのが一つ目の原因です。
もう一つの原因、「仕事のために生きているのではなく、生きるために仕事をしている」というマインドセットの存在です。
人々の人生において、仕事が占める割合が低くなってきた、と言い換えることもできるでしょう。たくさん残業をしてたくさんお金を稼いで必死で働くことよりも、家庭や自分の時間を大切にする方が評価されるようになっています。仕事の効率化によって発生した「余暇」を、しっかり楽しむためのエンターテインメントコンテンツも昔とは比べ物にならないほど膨大になりました。早い話が「仕事をする必要」が、少なくとも一般的な企業で働くという意味では、なくなってきているのです。
それでも人は働きます。そうしないと生きていけないからです。そこで労働は「最低限」という価値観が生まれてきます。残業は少ない方がいい、仕事は楽な方がいい。これは悪いことではなく、仕事の効率化と価値観の変容が生み出した自然なことなのです。
そこに「昇進」という”昔ながらのご褒美”をぶら下げても、食いつく魚が以前より減ってしまうのは当然のことと言えましょう。
そこに加えて、ここ最近の不景気があります。一言で不景気と呼ぶのも間違っているのかもしれませんが、消費税を含む増税、ロシア・ウクライナを発端とする世界情勢の悪化、新型コロナウィルスの流行に起因するインバウンド消費の現象に、近日に見える円安など、様々な要因が重なり、物価は上昇の一途を辿っています。それは同時に、企業の予算が増えた消費に追いついていない現実も相まって、「昇進しても給料が上がらない」というファクターとして重くのしかかってきます。結果として、一番わかりやすいメリットもなしに責任と仕事量だけ増やす、と聞こえてしまうわけです。これでは拒みたくなくとも自然と忌避してしまいます。